マインドフルネス学習法

 

(まえがき より)


なぜいま「マインドフルネス学習」か


 拙著「お母さんが高める子供の能力(認知工学)」や「進学塾不要論(ディスカヴァートゥエンティワン)」などをすでにお読みの方には、この「まえがき」はご必要ないかも知れません。私が言いたいことのおそらく8割程度はもうすでにお分かり頂いているだろうからです。

 この「まえがき」は、上記などの本をまだお読みでない方、またお読み頂いた方でも、残りの2割を理解していただき、より深く納得していただくために書いています。


 もう20年来、私は進学塾の「詰め込み」「丸暗記」「過剰な先取り」「大量の課題・宿題」など合格のためだけの学習は、ごく一部の子供を除いて、長い目で見た時に子供のためにはならない、かえって子供に良くない結果をもたらすとお話ししてきました。それは本当のことだからです。

 それでも進学塾は「詰め込み」「丸暗記」「過剰な先取り」「大量の課題・宿題」指導を決してやめません。進学塾も私企業で、市場原理の淘汰の競争にさらされているからです。企業にとって大切なのは「子供をよりよく伸ばすこと」ではなく「よりたくさん儲けること」です。企業の姿勢としてはそれは正しいことです。他の進学塾との争いに負けることは、塾(会社)が潰れることであり、多くの講師(従業員)を路頭に迷わせることになりかねないからです。だから「詰め込み」「丸暗記」「過剰な先取り」「大量の課題・宿題」指導をしている進学塾を全否定はできないし、進学塾は私の意見など「何を甘いことを言っているんだ」と一笑に付します。

 私はそうして20年来ずっともがいてきました。しかしその対象は「進学塾」ではありません。大手の進学塾は私のことなど歯牙にもかけていませんから。実は、そのもがきの種は、受験生を持つ「お母さん」であり「お父さん」なのです。


 いくら私が

 「Aくんは、まだ基本の部分がしっかりとできていませんから、そこに戻って定着させるべきです」

と申し上げても、

 「基礎が大切なのはわかりますが、今そんなことをしていてはどんどん遅れてしまいます。もっと先をさせて下さい」。

 「Bさんは授業中いつも疲れていますね。ああ習い事ですか。ピアノ、バレエ、そろばん、英会話、水泳、それは大変ですね。学校の宿題だけでも、こなすのがたいへん? そうでしょうね。睡眠時間は、ああ、6時間ですか、それはかなり短いですね。時間の割り振りを工夫して、もっとしっかりと睡眠を取らせる必要がありますよ」

と申し上げても、

 「いや先生、それでもまだまだ、家ではぼーっとしている時間があるんですよ。こんな調子ではとても受験など無理でしょう? 少々の睡眠不足はがまんさせます。もっと宿題を出してください。」

 子供のためにはこうした方がいいですよ、というアドバイスをしても、「それはわかりますが、それでもねえ、やっぱりねえ、受験のためにはねえ、」とおっしゃいます。受験という期日が切られて、冷静になれず、結果として子供に悪い方法をとるのは、実は親御さんなのです。(そういう親御さんは、ほとんどの場合うちの教室をやめてゆかれます)

 基礎ができていなければ応用などおぼつかないのは当たり前で、仮にピアノの練習なら基礎練習を飛ばして先をさせてくれという親はいないでしょう。睡眠時間が不足すれば、たとえ起きている時間、勉強している時間が長くなったとしても、時間あたりの集中や理解が大幅に低下しますから、結局勉強ははかどりません。眠くてふらふらしている状態でスポーツの練習をさせれば、おそらく怪我をします。かえって結果は悪くなりますし、だから普通はそんなことはさせません。

 音楽の練習やスポーツのトレーニングなら、「基礎をとばす」とか「睡眠をけずる」とかいうような指導はきっとないでしょう。でも不思議なことに、勉強に関してだけは「基礎を飛ばして、どんどん先をやってほしい」「睡眠を削ってでも、勉強させたほうがいい」とお考えの親御さんが多くいらっしゃるのです。

 「それでもねえ、先生」「そうは言っても、やっぱり…」、親御さんのそういう反応を見るたびに「なんだかなあ」、私はなんとも暗い気分になってしまいます。


 もちろん親御さんのお気持ちもよくわかりますし、私の申し上げていることがいつも、必ずしも正しいという訳でもありません。私の伝え方の下手な部分もあるでしょう。

 私たちの元へ親御さんは「合格」を求めてやっていらっしゃって、それに対して貴重なお金をだされています。「合格」という商品を買いに来られたお客様に対して遠い「将来」のより良い結果のお話をしても通じないのも、それはもっともな話です。(本当は、私の申し上げることが「将来」のためだけでなく「合格」への最短なのでもあるのですが。)

 私なら、もちろん自分の子どもの合格のためにお金を出すでしょうが、私はこの業界に長くいて、実際のところを自分の目で見てよく知っているので、それがかえって子供をダメにするような方法なら、そんな指導にお金は出さないし、そういう進学塾へはやりません。また、目先の合格より将来にわたって子供が伸びていく方が重要(そちらが本質)だから、将来にわたって伸びる指導にお金を出したいと思います。

 しかし、それはあくまでもこの仕事に長く携わっていて、こういう指導をされた子供がこういう風になるという、長いスパンのたくさんの結果を見ることができる私自身の言わば特殊な考え方であって、一般的な親御さんの多くはそうではないのです。

 100%合格するのなら、少々の犠牲は払ってもいいという考え方もあながち間違いではないかも知れません。合格というプラス面と、心身の不調、学習の悪いクセや勉強に対する誤った姿勢などマイナス面とが相殺されるかも知れないと思えるからです。全てではないにしろ現にそういう部分は確かにあります。でも不合格だった場合、どうしましょう? マイナス面はそのまま残ってしまいます。不合格だったことは大した問題ではないにしろ、心身の不調、学習の悪いクセや勉強に対する誤った姿勢などマイナス面を、その子は少なくともしばらくの間、長い場合は数年、数十年と背負って歩いて行かなければなりません。

 100%合格できる保証があるのであれば、多少のマイナス面に目をつぶることも悪いことではないのかも知れません。しかし、難関校であればあるほど、この子は100%合格する、などという保証はできません。また、100%合格しますと言い切れるぐらいのレベルの学校であれば、成長期の子供に大切な何かを犠牲にしてまで、強いて勉強させる必要もないでしょう。

 なんらかの悪い影響があるかもしれないような勉強法をさせて、それで不合格だった場合のリスクを考えると、それはバクチの世界に私は思えます。しかもそれは、たいへん率の悪いバクチです。だから私は、良くない勉強法についてははっきりと良くないと申し上げるようにしていますし、それでもご理解いただけないと、「なんだかなあ」という気分になってしまうということです。


 私が、私の申し上げていること全てに科学的エビデンス(証拠・証明)を明示できていないことも、反省材料ではあります。確かに近年、睡眠不足の問題などいくつかの点については、私のお話ししていることの科学的証明がなされてきてはいます。しかし、私の見解が現時点では「20数年の指導経験に基づく私の意見だけによる」ものも、まだまだあります。

 ただ、科学とは「後付けのもの」です。誰かが立てた仮説について、追試を行う、統計データの検証をする、など、後から証明したものです。(しかし、完全に正しいという証明はできないので、実は科学はどこまで行っても「仮説」です。)だから、私の経験に基づく「意見」が正しいかどうか科学的証明がなされるのは、どうしても私が見解を表明した時より後々のことになってしまいます。とはいえ、これまでは、私の意見を証明する科学的エビデンスに乏しかった、という点においては、私が親御さんをきちんと説得できなかった反省点であることにはまちがいありません。


 さて、マインドフルネスとは何か。

 少なくとも2〜3千年は遡れる東洋の思想やヨーガの技法が、釈迦であったりその弟子であったり、また他の偉人・哲人であったりにによって体系化されて現在まで連綿と続いています。その東洋の思想および心を統御し知恵を高める技法に対して、現代の西洋人が納得できるような科学的エビデンスが加えられたものがマインドフルネスです。

 私は最初、マインドフルネスに興味はありませんでした。というより「ああ、また東洋思想の真似事をして」と斜に構えていたのも事実です。アップルコンピュータの創業者の一人であるスティーヴ・ジョブズが瞑想を習慣的に行っていただとか、グーグルなど大企業の幾つかが、社員研修にマインドフルネスを取り入れているだとか、アメリカで大きく広がっていることは聞いて知っていました。しかし、マインドフルネスと名前を変えたからといって東洋の思想を横文字に翻訳しただけのものだろうから、私の方が本家本元、よく知っているぞ、と高をくくっていたからです。

 ところが、今私が述べた「東洋の思想を横文字に翻訳した」という部分は正しかったのですが「…横文字に翻訳しただけ」の「だけ」の部分は誤っていました。マインドフルネスとは、東洋の思想や、心を安定させる、また知恵を高める技術に、科学的エビデンス(証明)が与えられていたのです。これは私の予想を大きく超えていました。

 もう数十年も前から、瞑想する禅のお坊さんの頭に電極を着けて、脳波を測定・解析しているぐらいのことは知っていました。しかし、それから技術の進歩により、私の想像したよりもっと広く、深く、詳細にわたって研究が進んでいることを知って、私はマインドフルネスを認めるようになったのです。認めるようになったどころか「おっとこれはまずいぞ。本家本元である私たち東洋人が、このままでは追い越されてしまうぞ。」という危機感を持ったのも事実です。

 私は15歳の時に弓道を始めました。武道(武術)には禅や礼法の思想が含まれているからどうしてもそちらの勉強もせざるを得なくなり、20代の頃には多少ながら瞑想について勉強もし、修行もしました。現在の学習指導という仕事に就いた必要性から、当時から現在に至るまで、心理学からカウンセリングについてまでの勉強もし続けています。また40代になって縁あってヨーガも始め、マインドフルネスというものの根本である東洋の思想・修行法については、かなり知っているつもりではありました。ところがここに来て、マインドフルネスがかつての脳波の検知程度の科学的検証ではないということが、自分なりに調べて勉強して理解できてきたのです。

 マインドフルネスという科学的検証は、私に驚きと勇気とを与えてくれました。驚きはもちろん、私の想像を超える科学的検証がなされていたことにです。勇気は、私がかねてから述べてきたことへの裏付け(科学的エビデンス)がなされてきていることにです。


 学習にマインドフルネスの技法を取り入れることは、非常に有効だと私は考えています。少なくとも現時点では、マインドフルネスの技法を取り入れない場合と比べてかなり効果が高いと考えられていますし、かつその副作用(マイナス面)はほとんど見受けられません。


 これから、マインドフルネスとは何か、その効用はどんなものか、など、紙面の許す限りできるだけ詳しくご説明したいと思います。